12/27/2023

雪山でプチ遭難 Part 3

 夜は強風が吹き荒れていて、小屋の外はビュービューと言う轟音を聞きながら寝た。夜中に3回ほど目が覚めた時も風の音にゾッとした。翌朝、私はグースカと長い間寝ていたのだがボーイズはすでに起きていた。今日スノーマシーンを引っ張り上げることができて、家に無事帰れる保障はない。スノーマシーンがクリークに沈んでしまっていたり、どうしても引き上げられなければ、また山小屋に戻って救助が来るまで山小屋で過ごすことになる。私は家に帰れる可能性が50パーセント、山小屋に戻ってくる可能性が50パーセントくらいかなぁと思っていた。それを見越して、夫の提案から寝袋や寝袋を敷くパッド、食べ物や鍋などは山小屋に残しておいた。メモを残しておいて、荷物を残してしまい申し訳ないと言うことと、もし無事に家に帰れたならば荷物はまた水面がもっと凍ってから取りにくるか(私は絶対こんな恐ろしい思い出のある場所に帰ってくるなんて嫌〜!息子も絶対に嫌と言っていた)、もし可能ならお金を払うので道路のある場所まで持って来てもらえないかと言うことを、名前と電話番号と一緒に記しておいた。外に出ると幸い外は気温がグッと上がっていて、風は強かったが外の気温は前日とは比べられないほど暖かかった。多分マイナス3度(27F)くらいだったんじゃないかと思う。

一体今日何が起こるか分からないので、夫も私も落ち着かなかった。二人で頭の中に雲がかかったような鬱々とした気分で出発の準備をした。昨日来たあの最悪な雪山の道は、私たちが歩き、その上一晩経って雪がしっかり固まったおかげもあって簡単に歩くことができた。45分ほどでスノーマシーンとそりを残してきた場所に到着した。夫は歩くのが早いので、私と息子よりだいぶ早く現場に着いていた。

早速夫は一人でスノーマシーンの救助活動をしていた。昨晩話し合った時の夫の見解では、右足のソリが氷の下にあるため引っ掛かって持ち上げられないとのことだった。なので夫は氷を斧で少しずつ割っていた。私が心配していたのは、氷を割りすぎてプラットフォームがなくなることで、マシーンがまた水の中に落ちてしまうのではないかということだった。でも夫はこういうアウトドアやメカ系の論理力や推理力にはずば抜けて長けているので、夫を信頼して「やってみなよ」と賛同した。

夫はしばらく時間を掛けてそりの右足が完全に見えそうなく所まで少しずつ氷を割った。シャリシャリの氷と水に紛れていて、そりの足が完全に氷から出せそうかどうかよく分からなかった。夫の提案で、ほんの少しだけマシーンを前進させてスキーの足を出すという策を取ることにした。マシーンの前は水だったので、少しだけならいいけれど、下手したらマシーンが水の中に沈んでしまうかもしれない。でも夫を信じて、「少しだけやで!」とアドバイスをして見守った。口だけはよく出る私。夫はエンジンをかけて数センチだけ慎重にマシーンを前に動かした。次はこれまた夫の提案でマシーンを二人で持ち上げて左側に倒し、右のそりを完全に水面から出そうかと言うことになった。それは良い案だと言うことで、二人で思いっきりマシーンを持ち上げると、無事にそりの右足が水面から完全に出た!私はこのまま左にマシーンを完全に倒そうと思ったけれど、これまた夫の提案でマシーンの右側が完全に浮いた状態で夫がエンジンをかけ、リバースに入れた。その後マシーンを氷の表面に置くと、なんと無事にマシーンを完全に水面から出すことが出来た!

家族で大喜びした後、夫と二人で「これは大きな一歩だけど、この不安定な氷の下でスノーマシーンが沈まずに走れる保証なんてないから、まだまだ気を緩めちゃいけないね」と話した。私と息子がスノーシューズを履いていたので、夫は私に昨日スノーマシーンで来た道をちょっと歩いてみて、昨日の跡の右側を走ればいいか、左側を走ればいいか、氷の厚みを確かめて欲しいと言った。私はマシーンの足跡の左側は岸側なので安全だろうと思い、すぐ左側を歩いてみた。すると、一瞬で足が水中に沈んだ。それと対照的に右側は結構しっかり凍っているようだった。ただ、当然ながら人の重さに耐えられる氷の厚みに、スノーマシーンが耐えられると言う保証はない。人の重みに耐えられる氷の厚みは4インチで、スノーマシーンは5〜6インチと言われている。私たちのスノーマシーンは一般的なスノーマシーンより大きく重いし、荷物をいっぱい積んだそりも後ろに引いている。とりあえず、「左は絶対にあかんわ。足がすぐに水にはまった!」と報告した。それでもクリークの凍り方を見ていると、どの表面も全く予測不可能なことが分かる。例を挙げると、スノーマシーンの前は水、右側も水、でも左は結構しっかり凍っている。でも左も数歩進むと水と氷の混じったシャリシャリ。マシーンの後ろは一歩違いで水、シャリシャリ、そして硬い氷が張っているような状態。こんな感じで氷の厚みは3メートル四方の表面でさえバラバラで、厚さはおそらく1〜4インチ程度だと思う。スノーマシーンがハマった表面は2インチの氷が張っていた。ただ、できるだけ速い速度で思いっきりクリークの上をぶっ飛ばしてスノーマシーンで走れば、きっとここから脱出できる。

ここから脱出するために、まずスノーマシーンを救助するために外してあったそりをスノーマシーンに取り付けた。ソリを後ろに滑らせると、すぐ下に水が浮いてきた。気温は変わらず冬にしては暖かく、氷がかなりのスピードで溶けているだろうなと思った。一刻でも早くここから出ないといけない。荷物をまとめて3人でスノーマシーンに跨った。夫がエンジンをかけてアクセルであるレバーを強めに押した。その勢いでスノーマシーンが急発進した。その時に、重みと勢いで氷が割れてマシーンがグッと下に沈んだ感触を感じた。それでもマシーンが素早く動いてくれたおかげで、あの最悪の事故現場から一気に離れることができた。後ろを振り返ってスノーマシーンの跡を見てみると、水が浮いていて出来ていてゾッとした。この2、3マイルが一番危ないと思うので、ここを思いっきりマシーンを飛ばして脱出できれば、後はきっと大丈夫だろうと思った。のちに夫に聞いたのだが、3人もマシーンに乗っていて重いソリも引いていたのでなかなかハンドルを切ることが難しく、自分の体を思いっきり曲がる方向に傾けて重心をずらしても曲がりにくかったらしい。夫が昨日来た道を見ると、昨日は気付かなかったがスノーマシーン跡に水が浮いていたらしく、改めて危険な道を知らずに通っていたことが分かってゾッとしたらしい。とりあえず超高速で何マイルも走り続け、やっとクリークから脱出して、地面のある部分に出てくることができた!家族全員でほっとし、ハイファイブをしてやっと自分たちが安全な地表に戻って来れたことにただただ感激した。

この後はまた1時間45分かけてトラックを停めてあった駐車場までスノーマシーンを運転した。あの枝の垂れたハンノキの煩わしさが可愛くさえ思えた。トラックに辿り着くまでの時間はものすごく長く感じた。雪と木しかない環境の中で、途中で石油会社が打った杭やマーキングしてあるテープなどの人工物を目にするたびに感動した。文明を感じるたびに安心感が増した。トラックに戻って、後ろに引いていたそりに積んであった荷物を解いてトラックに積んだ。どの荷物も氷と雪でガチガチになっていた。夫が雷鳥を仕留めようと持ってきたライフルなんて、どこか氷河の底から「1万年前に人類が使っていた武器が発掘されました!」とニュースで写真と共に出てきそうならい氷がガチガチにまとわりついていた。自分たちがそれだけひどい環境にいたんだなぁと思うと改めてゾッとした。

トラックに乗って暖かいエアコンを感じた時に、心の底からほっとした。ボーイズは家に帰るまでの道にある小さい商店でジュースを買っていたが、私はずっと緊張していたせいかしばらく何も飲んだり食べたりする気持ちになれなかった。義両親に私たち全員が無事にトラックに辿り着き、今帰路に着いているというテキストを送った。義両親は私たちが無事だったことに大喜びしていた。


***

家に帰った翌日、早速ちゃんとした極寒の中でも履けるウォータープルーフのブーツを買った。マイナス40度でも履けるというレーティングのブーツ!夫のスノーシューズは色んな機能が付いていて息子がずっと欲しがっていたので、夫は自分のスノーシューを息子にあげた。数日後には夫が自分用に新しいスノーシューズを買った。これでまた家族全員が自分のスノーシューズを履ける。

今回の経験で、スノーマシーンに乗って雪山に行く時は以下の物は絶対に携帯するべきだねと夫と話した。幸いほとんどのツールは今回の旅で携帯していたので、無事に帰還できたのかも:

*軽量テント。非常事態を考えて、シェルターはその場で雪を掘ったり木を切ったりして作ることもできるけれど、テントがあれば簡単にシェルターになる。

*防水マッチと火種。

*手と足用のホッカイロ。

*スノーシューズ!!

*一番暖かいレーティングのコート(私はダウンのフィルパワー700と800のジャケットを着ていたのだが全く寒くなかった;一つは通気性の高い極薄のクロスカントリースキー用によく着ているジャケット。もう一つはウィンドプルーフ、ウォータープルーフの量高いジャケット)。アラスカでは当たり前だけれど、色んなレイヤーが必要。ウールの靴下、ウールのベースレイヤー、厚めのフリース、薄いダウンジャケット、厚いウォータープルー&ウィンドプルーフのダウンジャケット、念のためにレインジャケット。ボトムスはスノーパンツ、そして通気性のある水を弾くパンツ(雪が入らないように裾が萎んでいるもの)、ウールのベースレイヤー。

*ゲーター。もし水の中にはまっても被害が少ないし、雪の中を歩くには必須。履いているズボンが雪で濡れないので低体温症になる可能性も低くなる。そして、あとでズボンが乾きやすい。

*ウォータープルーフで暖かい冬用のブーツ。レザーや無駄にふわふわの装飾が付いているブーツ(私が履いていたブーツがまさにこれ。マイナス40だかでも履けると書いてあったけれど、合皮を使っていてウォータープルーフではなかったので全く使い物にならなかった)はだめ。ふわふわの装飾に雪がこびり付いて、次第にブーツに大きな氷の塊ができる。ブーツは上の部分がスリムな形状になっているもの。ブーツの上が膨らんだデザインは、雪がそこから入ってくるし、裾が萎んでいるデザインのパンツ(雪が靴に入らないので良い)にぴったりハマらない。一番分厚いウールの靴下を余分に持って来ていたので本当に助かった。

*衛星電話機能、SOS機能の付いたGPS。

*ガソリンタイプの鋸。連邦政府は自然保護区域でのエンジンタイプの鋸の使用は禁止している。木を自家用に無駄に伐採する人もいるし、生態系に悪影響が出る可能性があるから禁止されている理由は分かる。だけど、もし冬に遭難した時には夜通し火を焚べないといけない。すでに死んでいる木を伐採してシェルターを使ったりする必要があるので、絶対にガソリンを使うタイプの鋸が必要だと今回の経験で感じた。充電器(バッテリータイプ)の鋸はバッテリーが低温で使い物にならなくなる恐れがあるし、稼働時間がガソリンに比べて圧倒的に短い。何より山奥で充電なんてできない。緊急事態以外では使わないというルールで、ガソリンタイプの鋸は携帯するべきだと思う。

*外気温に耐えられる寝袋。小屋の中はストーブで暖かいが、緊急事態には野宿しなければいけない可能性もある。

*コントラクター(大工)用の分厚いゴミ袋を何枚か。緊急時にはウェイダー(釣りをする人が着る、水の中に入っても濡れないゴムでできたオーバーオール)にもなる。

*ゴリラテープ。何かと壊れたものを直すのに毎回重宝している。今回の旅で、息子のスノーパンツが破けて何ヶ所も穴が空いてしまったのだが、乾かした後にゴリラテープですぐに補修できた。夫は水筒の周りにゴリラテープを巻いて常にテープを使えるように携帯している。

*ポーリーとロープ。

*食料は宿泊する日数よりも二日分もしくはそれ以上の食料を持っていく。フリーズドライの食事は軽量でそれほど場所も取らないので良い。

12/25/2023

雪山でプチ遭難 Part 2

 全員冷静だったけれど、頭の中では完全にパニックだった。そこから1時間かけてスノーマシーンを引っ張り上げるために苦戦した。夫がポーリーとロープを出して、沼にかろうじて生えている頼りないハンノキの幹にロープを繋げ、スノーマシーンを引っ張ろうとした。それと当時に私がスノーマシーンを思いっきり後ろに引っ張った。しばらくすると、努力の甲斐あってスノーマシーンの左側にあるスキーを水面から引っ張り出すことができた。でもスノーマシーの右足であるスキーがどうしても氷の上から出ない。試しにエンジンをかけたところ、普段なら一発でかかるのに、変な音を立てて全くかからない。頭から血の気が抜けるような絶望的な気分になった。でもしばらくエンジンをかけ続けているとやっとエンジンがかかった。エンジンがかかったと言うことはエンジンはまだ無事と言うことで朗報だ。

この間に私の左足が二度も氷を突き破って水の中に入り、左足のブーツがじゃぶじゃぶと言う音を立てていた。冬のアウトドアの鉄則として、絶対に濡れてはいけないという掟がある。自分やスノーマシーンがかろうじて立っている部分も、一歩違いで水だったり、氷だったり、水と氷の混ざった状態になっていることにも気づいていた。マイナス10度、そして湿地帯で開けているため風が吹き荒れている。そして雪まで降ってきた。スノーマシーンはこのまま水の中に沈むかもしれないし、沈まなくても引っ張り上げられず乗り捨てることになるかもしれない。トラックを駐車した場所まで45キロ(28マイル)もある。到底歩いていける距離ではない。スマートフォンの電波は当然ない。初めて絶望、そして死という言葉がぴったりと当てはまる出来事の渦中に自分がいることをはっきり認識した瞬間だった。冬至翌日の出来事なので、当然日が下がるのも早い。日の出は10:12 AM、日の入りは3:54 PM。すでにこの時点で3時半くらいだった。夫が「今日はもう諦めよう。GPSで見ると山小屋までは1.1キロ(0.7マイル)ほどのはずだから、山の中を歩いて山小屋を目指そう」と言った。山小屋までの移動を楽にするため、必要なものだけを背負い、他の物はそりの中に置いていった。

私は夫より体重が軽いから、息子と夫にスノーシューズを履いてと言って、私はブーツで雪山を歩いた。人類が入ったことのないであろう雪山を歩こうとするが、雪が深過ぎて一歩進むたびに膝からお腹あたりまで雪に埋もれる。しばらくそのまま歩いていたけれど、進む速度が遅過ぎて、「雪の上を転がって這ってる状態なんやけどー!別にこれで私はいいけど、めちゃくちゃ遅くなるよ!」と夫に言った。すると夫がスノーシューズを脱いで私にくれた。夫が歩いているのを見ると、胸のあたりまで雪に埋もれていた。雪に埋もれて歩くことをPost holing(穴を開けて前に進む)と言うのだが、これは体力もそうだけれどまず精神的にやられる。夫は腰まで雪に埋もれながらもすごい速さで道を作りながら進んでいった。息子と私は精神的にも身体的にも疲れ、「もうどうにでもなればええわー!」と言ってじっとうずくまり、ぶつぶつ文句を言い合って何度も休憩を取った。

道なき深雪の中を倒木を超えながら進むこと1時間と少し、やっと山小屋に辿り着いた。夫はGPSを使って山小屋をマークしておいたのだが、後で教えてくれたが山小屋の正確な場所ははっきり正確に分からなかったため、このマークがずれていたらどうしようとヒヤヒヤしていたらしい。体力も精神力も限界の中で何とか山小屋に入り、薪を焚いて火を起こした。私の足とブーツは雪と氷の塊ができてひどい状態だった。髪の毛もバリバリに凍っていた。幸いずっと歩いていたので水の溜まったブーツを履いていたけれど足は温かいままだった。ただこの後ブーツがなかなか乾かず、大変だった。びっくりすることに、山小屋のある場所ではたまにスマートフォンの電波が少しだけあった。電波は不安定だけれど、夫は自分の両親に今置かれている状況をテキストで送っていた。

夫が、「火を準備したら僕一人でそりまで戻って食べ物や水、寝袋などを持って帰ってくる」と言った。えー!当然ながら食べ物や寝袋は背負ってくれてると思ってたわ!とそこでびっくり!でも確かに大荷物を背負ってそれでも山小屋を見つけられないという最悪の事態になっていた可能性もあり、まぁいいかと思う。夫は元から自分が二往復してサプライを取りに行けばいいと思っていたらしい。私が一緒に着いて行っても歩くスピードが遅くて足手纏いだし、息子を山小屋に一人残しておけないので、くれぐれも気をつけて、と夫を送り出した。夫が私に銃とGPSを渡そうとするので、「私たちはここで安全だから大丈夫。それはもしものためにあんたが絶対に持ってないと!」と説得して夫に銃とGPSを託した。ウッドストーブの前でブーツを足を乾かしながら、息子とひたすらじっと夫の帰りを待っていた。それから1時間は生きた心地がしなくて、どうか無事に帰ってきてとソワソワしていた。息子も父親の心配をして悲しそうにしていた。ちなみに水の溜まったブーツを乾かしている間、私は左足に履くものがなく、衣類を干したり寝床を整えるためのに山小屋の中を動き回らなければいけなかった。床は溶けた雪で水溜りが出来ていたので素足や靴下では歩けなかった。息子に「ねぇ、左足だけブーツ貸して?」って何度も聞いたけれど、なぜかガンとして貸してくれなかった笑 私にブーツを貸してくれている間、Youtubeをその間だけ見てもいいと言う条件を出したところ、一瞬で交換してくれた。何やそれ。

1時間15分ほどで帰ってくると見込んでいたところ、55分ほどで山小屋の外からシャリシャリ、というスノーシューの音がした時が心底ホッとした。夫が無事に寝具と食べ物、鍋や水などをそりから持って帰ってきてくれ、夕食を食べることが出来た。寝るまでは手袋、ブーツ、パンツ、靴下などなどとにかく雪と氷でぐっしょり濡れていたのでそれを乾かすことに集中した。明日スノーマシーンを無事に引き上げられるかも分からず、一体自分たちの身はどうなるんだろうという不安感が押し寄せてくる。でも、「まぁ何とかなるわな!」と思い、時に神経の図太い私はその夜ぐっすり寝ることができた。翌日夫から聞いたのだが、夫は家族を危険に晒してしかも翌日家に無事に帰れる保証もないので罪悪感でまとまった時間眠れなかったらしい。2時間毎に火を焚べて薪を絶やさないようにしてくれた。息子もしょっちゅう夜中に起きたらしい。壁に乾かすために掛けてあったフリースジャケットが蝋燭の炎に照らせれて犬のお化けに見え、それが怖い怖いと言っていたらしい笑 

雪山でプチ遭難 Part 1

生まれて初めて真剣に、「私はここで死ぬかもしれない。。」と初めて思った出来事があった。

忘れもしない冬至の翌日の出来事、つまり数日前のこと。お金をコツコツ一生懸命貯めて、今年スノーマシーンを買った。3人乗っても十分スペースがある、かなり大きなエンジンで全長3.4メートル、約300キロの重量。ボーイズは我が家にやって来たスノーマシーンに湧き立っていた。雪が十分降ったので、州や連邦政府が管轄している野生動物保護区でスノーマシーンに乗れるようになった。夫が早速州が経営する山小屋を予約した。この山小屋は道も何もない僻地の湖畔に半世紀以上前に建てられたもので、どの山小屋も日本語で言う掘立小屋という表現がしっくりくる。ちなみに、電気も水も通っておらず薪ストーブとベッドとテーブルがあるだけ。この予約した山小屋は我が家からは約100キロ(62マイル)離れている。道路から近めの山小屋や人気のハイキングスポットにある山小屋は宿泊料が75ドルなのだが、ここの山小屋は超僻地にあるせいか一泊25ドルだった。ここで何でこんなに安いの?と嫌な予感がする。そして、ただでさえ旅行や変化が嫌いな私は、まず行ったこともない超僻地に乗り慣れていないスノーマシーンで極寒の中向かうことに乗り気になれない。夫がものすごく楽しみにしているのと対照的に私は家でゆっくりしたかったなー!と思っていた。

当日、自宅からスノーマシーンをトレーラーに乗せ、トラックで牽引して舗装されている最北の道まで進んだ。そこがちょうど駐車場になっているので、そこにトラックを駐車した。スノーマシーンにそりを取り付けて、そりの中にガソリン、スノーシューズ、アイススケート、スキー、食べ物、着替えなどを載せた。ただ、息子の足が大きくなって今までずっと履けていたスノーシューズを履けなくなっていることに前日の夜に気づいた。どうせ息子は履けないから、と思ってトラックに息子のスノーシューズを置いてきた。夫と私用に、二足だけスノーシューズを積んでいた。これが後に大きな間違いとなることにその時は思いもしなかった。

スノーマシーンに乗り換えて45キロ(28マイル)先にある山小屋まで向かった。気温はマイナス10度(14F)で風を切ると更に寒い。最初の1/3ほどは道が広くて平らなので早く進むことができた。次の1/3はハンノキや白樺の木が雪の重みで垂れて、行く道を阻んでいる。木の枝を避けながらゆっくり進んだので時間がかかった。

後半の6キロ(4マイル)程度がクリークで、ここが夫が心配していた難所だった。事前に毎日更新されるNASAの衛星写真でクリークがちゃんと凍っていそうか、危ない場所はないかなど確認していた。一年前の同じ時期にクリークの表面が凍っているかも確認していたけれど、はっきり言って毎年冬の天候はかなり変わるので当てにならない。NASAの画像も拡大すると画像が荒い。そしてスノーマシーンが通れるほどの氷の厚みがあるかどうかは複合要因が多くて確実に判断することは難しい。例えば、氷の上に雪が乗っていると雪が保温材料となって雪の下の氷は割れやすく危ない。雪が全くない氷の表面の方が安全なのだ。そして湿地帯はバクテリアの活動が多いので湖などより水温が高くなる。クリークは常に水が流れているので、流れのない湖などに比べてなかなか表面が凍らない。クリークの表面が凍り出したとしても、氷のすぐ下を流れている小川がクリークからはみ出て氾濫し、氾濫した部分が凍らず人が落ちて事故の要因になることも多いらしい。ネットでどうやってこのクリークを安全に渡ればいいか調べていたけれど、人気のない場所なので(後でなぜか分かる)ネットにもどのルートで行けば安全なのか情報がなかった。ちなみに、クリークというと多分日本語では小川という表現になると思うのだが、このクリークはそんな可愛いものじゃない。このクリークの周りは広域な湿地帯になっていて、クリークと湿地帯を含めた幅が100メートル(325ft)くらいある。湿地帯には大きな狼の足跡がいくつも見えた。

クリークと湿地帯にスノーマシーンで入り、できるだけ木々が生えている岸に沿って走った。岸には木が密集して生えているので、そこは運転できない。最初は不安になる部分もそこまでなく、かなり早いペースで進んでいった。山小屋からあと少しと言うところで、夫が「衛星写真によると、ここからクリークと岸の間にある地面がほぼなくなる部分だから気をつけて行こう」と言った。そして、だんだん凍っていないクリークの水面が左手に見えてきた。それでも進んで行ったところ、目の前に凍っていない水面が所々現れて、それを避けて前に進むのは明らかに無理だった。右手は木の生い茂った雪山。左側と目の前には水面が見えているクリーク。夫がスノーマシーンから降りて、ちょっと水面の様子を見に行くと言った。降りて数歩歩いたところ、夫の左足が氷を突き破った。私が「もうこれは絶対にあかんわ。危なすぎる。すぐに今から来た道を引き返して家に帰ろう」と言った。その直後、スノーマシーンの前部分が氷を突き破って水面に落ちてしまった。前部にはエンジンがあり、エンジンが水に浸かってしまったらもうスノーマシーンは壊れてしまって運転できなくなる。

12/09/2023

10年ぶりのグリーンカード更新

もう今年の5月の出来事なのだけれど、グリーンカードを更新した。このブログは元々婚約者ビザを取るための情報収集と記録のために始めたので、グリーンカードの更新の話も残しておこうと思う。

2011年の2月(約13年も経つのか〜!)にフィアンセビザでアメリカに入国して、最初は二年間の条件付きのグリーンカードを発行してもらった(フィアンセビザで入国したので移民目的の不当な結婚でないと証明するため)。それから条件を取り払う正規のグリーンカードを発行してもらってから初の更新になる。

初めてのグリーンカードにアプライした時、確か$1,000ほど取得料にかかって、10年毎に$1,000払うのかと思うとゾッとしたけれど、新規ではなく更新の場合は約半額で$540($455 filing fee, $85 biometrics fee which is my fingerprint, photo, and signature)でした。。これでも十分高い出費だけれど、少しホッ。。

オンラインで更新した後は通知が届き、数週間後に近くのUSCISオフィスに行かなければ行けないとのこと。でも書類は全てオンラインで提出できたのは簡便で良かった。更新内容もそこまで多くない。調べたところ、更新の待ち時間は8ヶ月だそう!更新中に失効してしまったグリーンカードは有効でそのまま使えるそうだが、事実上失効したグリーンカードでアメリカに出国、入国することを考えるとドキドキする。。

***追記:

ステップ1)オンラインで書類を提出したのが05/20/2023の土曜の夜。

ステップ2)05/20/2023付けで早速Notie of Action (NOA)がUSCISオフィスから郵便に出さた(郵便局の消印は05/22/2023)。このNOAに書かれていた内容はというと。。

  • グリーンカードが失効しても24ヶ月間はこのNOAと失効したグリーンカードがある限り就労も滞在もできるとのこと。
  • バイオメトリックスが必要な場合は後でまたアポイントメントの日時が送られてくるそう。バイオメトリックスは強制で全員受けないといけないと思っていたので驚く
ステップ3)同じく05/20/2023付けでまた別のNOAが発送され、そこにはあなたはバイオメトリックスを受けなくて良いですが、バイオメトリックスの料金は返金されませんとのこと(消印05/23/2023)。ネットで検索するとどうやらFBIのデータベースに私のすでに登録されてある指紋を送って犯罪歴などを今調べているらしい。バイオメトリックスしなくて良いならもっと後で更新したのにー!

ステップ4)USCISのサイトにログインしてみると、05/25/2023付けですでに私の新しいグリーンカードの発行を行なっているとのこと!更新に8ヶ月かかるってネットに書かれていたけれど、USCISのサイトには3ヶ月ほどでカードが届きますとのことでした。

8か月かかるどころか、オンラインで申請してからたった5日でグリーンカード発行してますやん。。!しかもバイオメトリックスはしなくてもいい可能性があることを事前に知りたかった。。!バイオメトリックスに行くことを見越して、夏休みに入ってすぐに申請したのに。結局、超高速で新しいグリーンカードが届きました。失効する4か月前に申請して、たった数日で新しいグリーンカードが作られてしまったので新しいグリーンカードの有効期限が数ヶ月短くなってしまいました。。今度はVisa Journeyなどで現在の更新タイムラインをちゃんと調べてから、失効ギリギリで更新しようと思います。。