全員冷静だったけれど、頭の中では完全にパニックだった。そこから1時間かけてスノーマシーンを引っ張り上げるために苦戦した。夫がポーリーとロープを出して、沼にかろうじて生えている頼りないハンノキの幹にロープを繋げ、スノーマシーンを引っ張ろうとした。それと当時に私がスノーマシーンを思いっきり後ろに引っ張った。しばらくすると、努力の甲斐あってスノーマシーンの左側にあるスキーを水面から引っ張り出すことができた。でもスノーマシーの右足であるスキーがどうしても氷の上から出ない。試しにエンジンをかけたところ、普段なら一発でかかるのに、変な音を立てて全くかからない。頭から血の気が抜けるような絶望的な気分になった。でもしばらくエンジンをかけ続けているとやっとエンジンがかかった。エンジンがかかったと言うことはエンジンはまだ無事と言うことで朗報だ。
この間に私の左足が二度も氷を突き破って水の中に入り、左足のブーツがじゃぶじゃぶと言う音を立てていた。冬のアウトドアの鉄則として、絶対に濡れてはいけないという掟がある。自分やスノーマシーンがかろうじて立っている部分も、一歩違いで水だったり、氷だったり、水と氷の混ざった状態になっていることにも気づいていた。マイナス10度、そして湿地帯で開けているため風が吹き荒れている。そして雪まで降ってきた。スノーマシーンはこのまま水の中に沈むかもしれないし、沈まなくても引っ張り上げられず乗り捨てることになるかもしれない。トラックを駐車した場所まで45キロ(28マイル)もある。到底歩いていける距離ではない。スマートフォンの電波は当然ない。初めて絶望、そして死という言葉がぴったりと当てはまる出来事の渦中に自分がいることをはっきり認識した瞬間だった。冬至翌日の出来事なので、当然日が下がるのも早い。日の出は10:12 AM、日の入りは3:54 PM。すでにこの時点で3時半くらいだった。夫が「今日はもう諦めよう。GPSで見ると山小屋までは1.1キロ(0.7マイル)ほどのはずだから、山の中を歩いて山小屋を目指そう」と言った。山小屋までの移動を楽にするため、必要なものだけを背負い、他の物はそりの中に置いていった。
私は夫より体重が軽いから、息子と夫にスノーシューズを履いてと言って、私はブーツで雪山を歩いた。人類が入ったことのないであろう雪山を歩こうとするが、雪が深過ぎて一歩進むたびに膝からお腹あたりまで雪に埋もれる。しばらくそのまま歩いていたけれど、進む速度が遅過ぎて、「雪の上を転がって這ってる状態なんやけどー!別にこれで私はいいけど、めちゃくちゃ遅くなるよ!」と夫に言った。すると夫がスノーシューズを脱いで私にくれた。夫が歩いているのを見ると、胸のあたりまで雪に埋もれていた。雪に埋もれて歩くことをPost holing(穴を開けて前に進む)と言うのだが、これは体力もそうだけれどまず精神的にやられる。夫は腰まで雪に埋もれながらもすごい速さで道を作りながら進んでいった。息子と私は精神的にも身体的にも疲れ、「もうどうにでもなればええわー!」と言ってじっとうずくまり、ぶつぶつ文句を言い合って何度も休憩を取った。
道なき深雪の中を倒木を超えながら進むこと1時間と少し、やっと山小屋に辿り着いた。夫はGPSを使って山小屋をマークしておいたのだが、後で教えてくれたが山小屋の正確な場所ははっきり正確に分からなかったため、このマークがずれていたらどうしようとヒヤヒヤしていたらしい。体力も精神力も限界の中で何とか山小屋に入り、薪を焚いて火を起こした。私の足とブーツは雪と氷の塊ができてひどい状態だった。髪の毛もバリバリに凍っていた。幸いずっと歩いていたので水の溜まったブーツを履いていたけれど足は温かいままだった。ただこの後ブーツがなかなか乾かず、大変だった。びっくりすることに、山小屋のある場所ではたまにスマートフォンの電波が少しだけあった。電波は不安定だけれど、夫は自分の両親に今置かれている状況をテキストで送っていた。
夫が、「火を準備したら僕一人でそりまで戻って食べ物や水、寝袋などを持って帰ってくる」と言った。えー!当然ながら食べ物や寝袋は背負ってくれてると思ってたわ!とそこでびっくり!でも確かに大荷物を背負ってそれでも山小屋を見つけられないという最悪の事態になっていた可能性もあり、まぁいいかと思う。夫は元から自分が二往復してサプライを取りに行けばいいと思っていたらしい。私が一緒に着いて行っても歩くスピードが遅くて足手纏いだし、息子を山小屋に一人残しておけないので、くれぐれも気をつけて、と夫を送り出した。夫が私に銃とGPSを渡そうとするので、「私たちはここで安全だから大丈夫。それはもしものためにあんたが絶対に持ってないと!」と説得して夫に銃とGPSを託した。ウッドストーブの前でブーツを足を乾かしながら、息子とひたすらじっと夫の帰りを待っていた。それから1時間は生きた心地がしなくて、どうか無事に帰ってきてとソワソワしていた。息子も父親の心配をして悲しそうにしていた。ちなみに水の溜まったブーツを乾かしている間、私は左足に履くものがなく、衣類を干したり寝床を整えるためのに山小屋の中を動き回らなければいけなかった。床は溶けた雪で水溜りが出来ていたので素足や靴下では歩けなかった。息子に「ねぇ、左足だけブーツ貸して?」って何度も聞いたけれど、なぜかガンとして貸してくれなかった笑 私にブーツを貸してくれている間、Youtubeをその間だけ見てもいいと言う条件を出したところ、一瞬で交換してくれた。何やそれ。
1時間15分ほどで帰ってくると見込んでいたところ、55分ほどで山小屋の外からシャリシャリ、というスノーシューの音がした時が心底ホッとした。夫が無事に寝具と食べ物、鍋や水などをそりから持って帰ってきてくれ、夕食を食べることが出来た。寝るまでは手袋、ブーツ、パンツ、靴下などなどとにかく雪と氷でぐっしょり濡れていたのでそれを乾かすことに集中した。明日スノーマシーンを無事に引き上げられるかも分からず、一体自分たちの身はどうなるんだろうという不安感が押し寄せてくる。でも、「まぁ何とかなるわな!」と思い、時に神経の図太い私はその夜ぐっすり寝ることができた。翌日夫から聞いたのだが、夫は家族を危険に晒してしかも翌日家に無事に帰れる保証もないので罪悪感でまとまった時間眠れなかったらしい。2時間毎に火を焚べて薪を絶やさないようにしてくれた。息子もしょっちゅう夜中に起きたらしい。壁に乾かすために掛けてあったフリースジャケットが蝋燭の炎に照らせれて犬のお化けに見え、それが怖い怖いと言っていたらしい笑