3/23/2011

先輩の死

大学院時代の先輩で、私の修士論文の指導をしてくれていた博士課程の先輩が亡くなったことを知らされました。死因は自殺とのことです。

私はその先輩が大嫌いで、怒鳴り合いのケンカをしたこともあります。人生で初めて人とけんかをしたのが先輩です。すごく怒りと衝動性が高く、気の弱い私は振り回されたり、当たられたりすることがしょっちゅうでした。後輩たちは先輩に対してひたすら我慢し、先輩たちは彼をどう扱うかこっそりミニ会議を開いていた位、かなり難しい人でした。先輩の実家は震災のあった場所の近くだったので、「先輩の家族は大丈夫かな」と考えていた際での訃報でした。

先輩が亡くなったのは数ヶ月くらい前で、遺体からは指紋も取れない状態だったそうです。家賃の支払いが滞っていたので、管理会社の人が部屋を訪れ、発見されたそうです。仕事をしていたのに、離れてはいるけど家族も兄弟もいたのに、どうして発見まで数ヶ月もかかってしまったのか。先輩の性格や生き方も影響したのかとは思うけど、現代社会の希薄さに身震いします。

最後に先輩にメールを送りたくて、Gmailの送信履歴から先輩の携帯のメルアドを探しました。すると、3年前に先輩としたメールのやりとりが残っていました。他の先輩で私に偉そうに言ってくる人がいたのですが、その人から私を守ろうとしてくれている内容でした。その後、先輩にメールを送りました。すぐにエラーで返ってきて、本当に亡くなってしまったんだ。。。と信じがたい事実を突きつけられる結果になりました。

私は先輩が大嫌いだった。でも、確かに思い返せば、すごく寂しがりで、繊細で、さりげなく人を思い優しさを見せることのできる人でした。不器用だったし、口が悪かったから、周りとはうまく馴染めない人だった。自分の彼女以外は世の中全員敵というような価値観を持った人だった。今回の自殺も対人関係での悩みから起こったということは簡単に想像がつきます。一言でもメールをくれたら、異変を感じて電話したのに。。。と悔いが残ります。

先輩はすごく賢く、頭の切れる人でした。国際学会で賞を受賞していたことも記憶に新しいです。まだ生きていたら、きっと世の中に名の残る研究者になっていたと思います。
先輩は、私にcritical thinkingとは何かをみっちり教えてくれた人でした。大学院に入学してから、先輩からアカデミックペーパーのまとめ方、保存の仕方、書き方をびっちり学び、こんな私でも、卒業前には微妙ではありますがなんとかなる位のペーパーが書けるようになっていました。

先輩の教えてくれたcritical thinkingは、毎日の生活で本当に役に経っています。先輩の身体は存在しないけれど、こうやって先輩が教えてくれた大切なことが生き続けることで、先輩がかつて生きていた、存在していたんだということを確認できます。切ないけれど嬉しいことでもあります。

今回の件で、旦那さまはもちろんの事、大切な友達や家族に、毎日優しさと思いやりをもって接していきたいと強く思うようになりました。また一つ、先輩からかけがえのない大切なことを教えてもらいました。

プライドや体裁を気にする先輩が自ら死を選ばなければいけなかった程、ひどく悲しく辛く暗く、底なし沼の日々が続いたのだろうと思います。友達を作りたかったけど、なかなか自分の感情をコントロールできず人が去ってしまい、相談できる相手もおらず、どれだけ苦しかったのだろうかと考えると眠れません。

私は先輩のことを一生絶対に忘れません。そして、先輩の教えてくれたことは私の中で生き続け、将来私とJoelとの間に産まれる子どもにもその考えは受け継がれていきます。先輩の生きた人生を、先輩自身の存在を忘れないことが、何よりの供養になるのではないかと考えています。

28年の人生、本当にお疲れさまでした。