5/16/2012

Tonyのお葬式

今日はTonyのお葬式に行ってきました。

朝出勤して行ったJoelはお葬式に間に合うように家まで戻ってきてくれ、二人で車に乗ってFerndaleという隣町にあるカトリック教会まで行ってきました。
朝起きると、カウチには私があらかじめ置いておいたJoelのスーツとズボンがそのまま放置されており、悪い予感。。汗 
時間になってJoelと家の前で落ち合うと、チェックのフラネルシャツ、ジーンズ、青と白のスニーカーを履いてドヤ顔してるJoelが。。笑 脱力感を感じ、もう服装については何も触れないことを誓う私。。。笑 もちろんそのままの格好でお葬式に参列。。。ちなみに、参列者の人は95%くらいの人が黒ずくめ、ちらほら普通の柄のシャツを来ている人もいましたが、当然ジーンズにスニーカーだなんてうちの頑固ちゃんだけでした。。汗 本人は何とも思ってない様子で全然気にしてませんでしたけどね。。T0T

初めてFerndaleに行ったのですが、Bellinghamとはまったく異なった雰囲気の町で、Mt. Vernonみたいでした。教会に着くとすごい数の車と参列者の方がいて、Tonyの優しくみんなから愛されていた人柄をじーんと感じることができました。意外にもこの地域周辺にはかなり多くのクロアチア人がいるらしく、びっくりしました。

こっちのお葬式は本当に日本と全然違いますね。歌が多くて、牧師さんが時々冗談も交えながら説教してくれ、亡くなった方の人生や人柄などを話してくれる人がいました。Joelの家はプロテスタントらしいんですが、プロテスタントのお葬式は結構ラフで簡略化されており、一方カトリックのお葬式はすごく改まった儀式が多いみたいだって言っていました。式は厳粛でとても素敵でした。小さな男の子たちが儀式をお手伝いしていました。特別なお香が焚かれて、すごくミステリアスな式でした。Tonyが入っているお棺と泣きはらした顔のKataを見ながら、二人の幸せだった人生を考えるとこっちもすごく泣けて鼻水ズビズビ状態。。お棺から顔をみてTonyに最後の挨拶がしたいなと思っていましたが、家族の意向からかお棺の蓋は開けられませんでした。お墓にお棺を埋める行程も、家族だけで行うということで残りの参列者はご飯を食べに別のビルに移動。

Tonyの人生、すごく波瀾万丈で立派なものだったので多くの人に知ってもらいたいのでこちらに書いておきます。Tonyはクロアチアの小さな島、コミザで産まれました。さっきどんな綺麗な場所なんだろうと調べてみたら、あの有名な青の洞窟があるのがコミザだそうです。Joelが前にTonyの産まれた家を写真で見せてもらったらしいのですが、石でできたすごく古代的な家だったらしいです。18歳のときに共産政治から逃れるためにボートを漕いでコミザ島から逃亡を図ります(おそらく近隣であるイタリアなど他国を目指していた様子)。しかし、ボートを漕いでいる途中で家に引き返さなければいけない事情があり(これは何だったのか、今度妻のKataに聞いてみたいと思ってます!)再度家に戻った後、2回目の逃亡を測ります。ものすごく柔らかく優しい人だったので、そんなTonyが祖国から逃亡するという話を聞いてびっくり!情熱的な人だったんだなぁとすごくワクワクしました。

逃亡前から、目的地はアメリカだという固い決心があり、本当に靴ひとつ、着のみ着のままでアメリカに渡ることに。カリフォルニアに着いたTonyはそこでツナやサーモンなどを捕る商業漁業を行います。当時は商業漁業でものすごいお金が稼げたそうです。南米やアラスカまで漁に出ていたそう。すごいですよね!Tonyはとっても背が高くハンサムでした。私が会ったときはすでに肺がんとの闘病生活が始まっていたので、痩せておりほっそりとしていましたが、漁師さんだったTonyはすごく体格も良くて健康なすごくカッコいいお兄さんだったに違いありません。奥さんのKataも美人でいつもとても綺麗な格好をしています。娘さん2人と息子さん1人がいるのですが、特に娘さんはどちらも40歳以上のはずなんですがめちゃくちゃ見た目が若くすごく美人で、その子どもたちもとっても美人、ハンサム揃いです。カリフォルニアで過ごしている時に同じクロアチア出身のKataに出会い二人は結婚します。こちらに越してきたのは比較的最近と言っていたような?曖昧なのでまたKataから色々聞かせてもらいたいと思います。

式が終わった後、同じアパートに住んでいるおばあちゃんが声をかけてくれました。
「あなたが日本から来た女の子!?お腹に赤ちゃんがいるなんてつい最近まで知らなかったの!初めまして!」と自己紹介してくれました☆このおばあちゃん、隣のコンプレックスに住んでいる人で、駐車場は私たちの横なので「こんにちは〜」って挨拶するだけの顔見知りってだけでした。おばあちゃん、すっごくフレンドリーで色々自分のことを話してくれたり、私やJoelのことを聞いてくれたりしました。3人で教会で用意されたランチを食べて楽しかったです。そして、このランチが本当にめちゃくちゃ美味しくて感動。。ほとんどがクロアチア料理らしいんですが、大量のご飯とデザートの種類に私とJoelは大興奮!今度Kataにレシピを教えてもらおうねって言ってます。あっちのデザートはアメリカみたいに激甘じゃなくって日本人の口にすごく合います☆

おばあちゃんから聞いてまた泣けたんですが、Tonyは元気になったら私のベイビーシャワーをみんなでしたいとずっと言っていたそうです。。。泣 自分が本当に苦しく辛いときでも、いつも周りのことばかり考えていた優しいTony。。。本当に本当に、素敵な人でした。。。
おばあちゃんが、私の赤ちゃんの誕生とTonyを偲ぶためにも、赤ちゃんが産まれたらみんなで庭でポットラックパーティーをしましょう!と言ってくれました☆もう結構前から企画されていたみたいです笑 うちの母が来ているときにでも是非!と。Kataの家族や親せき、親友もお葬式が終わったらみんなカリフォルニア、コロラド、モンタナとそれぞれの家に帰っていくと思うので、いつもTonyと二人で一緒に過ごしていた思い出いっぱいの場所で一人で過ごすのは本当に辛いはず。。私たち近所の人たちが結束して、Kataが少しでも笑顔で過ごせるようにしてあげたいなぁと思います。

いつも周りを笑顔にさせてくれた心優しいTony。肺がんがとっても憎いです。。。でも15か月の闘病生活は想像を絶するくらい苦しかっただろうし、Kataの心労や永遠に痛みから開放されて安らかになったことには少し安心してしいます。誇らしい人生を終えたTony、またいつの日かKataと天国で再会できることを楽しみに毎日ゆっくりと過ごして下さい。。。